地味〜なマントノン夫人が太陽王に好かれた経緯は〜?(マントノンーフランス) |
王妃はマリー・テレーズ(スペイン王女)。
太陽王には、
アンリエット・アンヌ、
ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール、
モンてスパン夫人、
マントノン夫人という4人の寵姫がいました。
マントノン夫人は信仰心の強い女性だったため、
最初王からの寵姫の求めに応じなかった。(それは計算されたものともーーー)
3人目の寵姫であるモンテスパン夫人と、
後のマントノン夫人となるスカロン夫人は友人同士だったのです。
子どもの教育のために地味なスカロン夫人を招いたともーー??
(王が気にかけない女性ーー)
しかし、家庭教師だったスカロン夫人は王からマントノンの領地、
城と広大な地所を贈られ、マントノン侯爵夫人となります。
スカロン夫人後のマントノン公爵夫人は常にロザリオと十字架を身につけ、
黒いドレスしか着なかった女性です。
彼女は寵姫の子供たちの世話係として、
初めて太陽王に会いました。
王は頑で黒い姿の彼女を教育者だとしても気に入らなかったようです。
その気に入らなかった彼女を、
知的で心優しい子どもに対する姿に心引かれて行くのです。
そして子供たちへの愛情の感謝の気持ちとしてマントノンの領地を贈ったのです。
マントノン夫人はフランス人の嫌う美徳をすべて備え、
フランス人の大好きな悪徳を一つも備えていなかったため、
王の娼婦と言われていたモンテスパン夫人が国民の人気者となりました。
内緒:フランスの国民に好かれるのは大変な様ですね。
その彼女の住んだ城が、
ここマントノンにあるマントノン城です。
こういう時代に書いた手紙が女性の胸の内や歴史を物語るのですから、
手紙のやり取りも多いにすべきなのでしょうね。
メールでは残らないのでは〜??(笑)
ゴシップと云うのは人間関係を知る重要な情報源となっていたそうです。
参照:”王に愛された女たちの歴史”ーエレノア・ハーマン著