2008年 02月 18日
気持ちが動かないことに慣れてしまえないーーー |
今、珍しく、長く、日本にいる。
数年間、この季節はパリで迎えていた。
日本の家は、窓から山が見え、近くに海があり、
春にはさくらが川を覆う。
山から海に流れ込む川がある。
自然がそばにあふれている地域だ。
パリで日本の環境は望めない。
最低でも週一度くらいはパリから脱出して森や郊外に出かける。
緑の公園はパリ市内にも沢山ある。
2年くらいは(何をしているか滞在仕方にもよるが)
感激していられる。
しかし、ある時気がつく。
あまりにも人間の手をかけすぎているということに。
勝手なもので揃っていることが美しいと感じていたのに、
揃いすぎると、不揃いな美を求めたくなる。
造られすぎない自然に身を置きたくなる。
自然に浸るため、
郊外のシャンブルドウオトウに行くことがある。
心身の健康のため行くと自分に理由ズケしている。
薬代を払うより、健康でいられる為にお金を使う方がいい。
と少々高いところでも環境を選ぶ。
皆がとはいえないが、
パリの人たちは田舎に別荘を持つ人が多い。
開放感を求める気持ちは日本人のとは少し違い、
そうしないでは冬の閉塞感に絶えられなくなるからだとわたしは思っている。
ヨーロッパの冬は暗い。
そこに住む人たちが太陽をあれほど求めるのは、
日本人の私には無謀な気さえするが、
パリに住むと理解できてくる。
日本人は、特に女性は太陽を避けようとするが、
フランス人、特にパリ人にはそれが理解できないだろう。
互いの環境は地理的にも違いすぎる。
肌を大切にする日本人は中年でも恐ろしく奇麗だということになる。
乾燥した上に更に太陽にあてた肌は自ずと差が出る。
日本は恵まれている。
四季があるということがあたりまえだと思っているが、
こんなにすばらしい国はないと思える。
飢餓感を持つように太陽に身をさらさないでも生きてゆける。
私の住んでいる日本は、
冬こそ太陽の恵みを受けていると実感できるところだ。
暮らしている場所の影響は意識しないまま身に付いていく。
私自身もそうだ。
やっと、長く日本にいられることを喜んでいるのに、
フランスの冬になれてしまって、
太陽を求めて動くことが身に付いてしまう。
日本の季節の良さと、清潔さ、
自分の住む地域の良さを実感しているのに、
腹立たしくなることの多く、
その上、犬の糞を気にしないで歩けないパリへ体が向いてしまう。
気持ちは日本で満足しているはずなのに、
体を動かさないではいられないパリを懐かしく思うのは、
旅をする人が、
旅をやめられないみたいなものだろうか。
帰って来ては又出かける事を何年も繰り返しているわたしは、
動いていることが習慣になってしまったのだろうか。
by frruru
| 2008-02-18 19:13